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2025年8月の日々

  • 執筆者の写真: Kamome Kamoda
    Kamome Kamoda
  • 9月4日
  • 読了時間: 7分

更新日:9月19日


 7月末からこっち、なんだか背骨が抜けたように、自分を支えるエネルギーがない日々を過ごしていたように思う。でもよくよく振り返ると、ここ数年は毎年7月下旬から8月にかけて動けなくなっていっている気がする。この夏の酷い暑さと、お盆の負荷が強いのかしら。

 畑の作物もあまりきれいに育たず、なんだろうと思っていたのだけれど、ご近所のお友だちに「暑さでそうなる障害だそうだよ」と教えてもらった。彼女は来年、日よけを作っておくと言っていた。私たちも来年は、夏の暑さで動けなくなる前にそうしようかなぁと思う。


 へにょへにょだったがために日々の記録も随分とストップしていたので、一気にまとめておく。


 ⋆͛8月3日(日)のお出かけ

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 毎年、多賀大社の万灯祭に出かける。提灯の数はなんと1万灯なんだそう。手前の明るさからすぅっと奥を見渡すと、遠くにいくに従って深くなる宵闇と、広がっていく優しい光の提灯が見える。この光景がものすごく好きで、毎年欠かさず訪れている。


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⋆͛8月5日(火)の美術室

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 私がやっている「うまくなるよりゆたかになる」をコンセプトにしたオーダーメイドの美術室で、1か月間限定で

【夏休みスペシャル】を始めた。


 大学院で造形あそびと劇あそびのワークショップの研究でしていたこともあって、こういう空間を使ったワークが一番面白く感じている。けれど、身体を壊してからこっち、なかなか大規模なものをする元気がなかったので、ずっとしていなかった。

 昨年、なんだか自分のHPのゲージそのものが増えている体感があって、今年になって奮起、夏休みスペシャルは空間を使ったものにしよう!と決めた。でもできるだけ自分に無理のない、家でやれる範囲のよい空間を作るのが目標だった。


 どんなイメージの空間にするかを、通ってくれている子どもたちと相談しながら練り上げ、形にした。子どもたちにとっては、自分の中で想像した空間とは少し違ったかもしれないけれど、この空間に入った瞬間にみんなは「わ~!すごい!森じゃん!」と目をキラキラさせてくれた。

 この規模感なら、今後もできるように思う。みんな、とても喜んでくれていた。


⋆͛8月13日(水)のお膳

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 我が家では、お彼岸の時とお盆、縁者の命日の時に、お仏壇にお膳をそなえる。この家に引っ越してきたときにいただいた古いおちょこや、頂戴したかわいい器などに小さく盛り付けるので、毎回なんだかおままごとみたいで楽しい気持ちになる。

 今年はニノ(愛猫)の初盆でもあった。ニノは最期が近づくにつれ人間の食べ物が食べたかったようなので、存分にお食べ!と、数日かけていろんなご飯を作った。


 そして、13日からは京都での大学時代の友人がご夫婦で泊まりに来てくれた。

 とてもうれしく、とても楽しみだったので、タコスパーティーをすることになった。もうこれがたいそう美味しくて、お腹が満腹になるのが惜しいくらい!本当に美味しかったし、一緒に作ることがとても楽しかった!


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 次の日は湖へ泳ぎに行って、みんなでたくさん遊んだ。

 友人が湖のなかに座って、ぼ~っと風を感じるように過ごしている時、あぁ、私はこの子のこういう部分がいっとう好きだったな、と思って心がほうっとした。水は全体的にぬるく、しかし時おり冷たい層もあって、その中をぐんぐんと泳いだ。眼前に青い水と青い山、青い空しかない景色は特別に感じる。私は故郷の月山がとても好きだけれど、それとは違う心地の安心がある。どちらも、生きてていいんだな、と、心の奥底から沸き立つように感情があふれる気がする。


⋆͛8月30日(土)の台所

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 それからのお盆期間、その後の日々の出来事も特筆すべきことはあれど、基本的に私が何をやっていたかというと、寝込んでいた。自重を支えるエネルギーが少なく、倒れるように寝込んでしまうのだ。ストレスフルな出来事があると、よくこうやって寝込んでしまうのはまだまだ変わらない(変えたい)。




 それを知ってか知らずか、遠くに住む大事な友人たちがzoomで「お茶をしばこう!」と言ってくれた。大学時代から一緒に価値観を作り、私が病の時も決して諦めずともにいてくれた友人たちだった。


 私が悩みごとをぽろぽろと話すと、一人はでかいコップにジンをたっぷり注ぎながら「それはだめだ!だって貴女が傷ついてるじゃない!」と言い、もう一人は美味しそうなカレーを食べながら「そうだよそうだよ、もう関係ないよ!」と励ましてくれた。最後はみんなでそれぞれ酒をもってきて飲んで、ぎゃははと笑った。


 彼女たちとの関係には、我慢や強制がない。努力して愛さなきゃいけないと思わなくてもいい。〇〇しないと愛さない/“普通”じゃないから愛さないというような、条件付きの愛情の関係性もない。月山や、湖で感じるような愛情をもって共に生きてくれる人なのだ。

 私が選択したことを、頭ごなしに決めつけないやり方をとってくれる。必ず事情を聞いてくれるという安心感は、互いの嫌なところ、面倒なところを見せあって、それでも相手を受けとめようと努力して構築してきたものだ。奇跡なんかではなく、活路を見出そうと考え抜いた時間がこういう関係を作っている。それは私だけでは決してできず、彼女たちが私のために心を砕いてくれた時間とのハーモニーで今の音楽が流れているんだ。


 そういう関係性の人と共に生きていきたいと思う。




 その出来事と同時に、7月末に僧侶の友人と電話した内容も体に響いている気がしていた。

 全く別の人生を歩んでいるのに、見ている目線の近さに驚くことが多い。彼と話す時間は、私にとっていつもとても大切なことを孕んでいる。


 その日、様々な話をするなかで、彼が自分の娘さんが友人に身体のことについて悪口を言われたという話をした。

 「それを聞いて、【お父さんは君のこういうところ大好きだよ~】って言ったんだ」と、何の気なしに話してくれた。彼にとってはそれが当たり前の日常の一幕だったのかもしれないけれど、私は、電話を切ってからもそのことを思い出しては、感極まって泣いた。


 太っている、目が小さい、足が短い、などのルッキズム的な言葉を、田舎の風土として、それが冗談としてまかり通る世界がある。そしてそれは今や、SNSを介して様々な場面で見るようになった。その冗談を冗談として受け取れず、一生の傷として抱えていきる人は少なくない。私もその一人である。それは私を摂食障害に誘ったし、きっと今生きる子どもたちにもそういう傷から病に発展する子がいる。


 でも、その傷を受け取ったときに、父親に「でもお父さんはそういうところが好きだよ」って言ってもらったら、きっと傷は傷じゃなくなっていくように思う。もし傷として残ったとしても、でも、お父さんは好きだよって言ってくれたという記憶が奥底に留まり続けるはずだ。たった一言の声掛けの中に、どれだけの愛情が詰まっているだろう。声音に、かわいいお腹をなでる手のしぐさに、微笑んだ目尻のしわに、どんな私でも生きてていいんだと思える愛情が詰まっている。それが娘さんの、子どもたちの記憶の奥底に刻まれていくというのは、一生その子を守るお守りみたいになって、最後のトリガーを引かせないストッパーになってくれるはずだと思う。

 なんだか彼の話したその一幕は、幼い頃の私に言われたような気がして、救われた思いがしたのだった。


 こういうモノの見方をする人と共に生きていきたいと思う。




 そんなことを想う矢先に、遠い異国で甥っ子が生まれた。

 次の日に、少しばかり大きな、かなしい知らせがあった。


 zoomで友人たちからもらった自分の心の変革から、感情の強烈なジェットコースターに乗っているようで、ぼうっと台所に座る時間が増えた。窓辺に入る光に、すりおろし器のステンレスがきらりと光る。椅子に座っているはずなのに、少し浮いているような戸惑い。頭が回り始めるのに、なかなか時間を要した。


 甥っ子の誕生に、おめでとう、よかったねという言葉が飛び交う。甥っ子が頑張って目を開けて、手を伸ばす姿に涙する姉の顔を想う。一つ一つの命の動きに感動するこの美しさ。私たちはその美しさを持つことができるし、それを誰かに手渡すことができるけれど、同時にものすごく暗くどうしようもできない悲しみを抱えることもある。そういう現実が確かにあって、その清濁を併せ飲みながら生き抜くしかない。


 清濁を共に見つめて生き抜くために、奥底に刻み込まれる愛情の記憶を、どうにかこうにか増やしたい。私が甥っ子に、友人に、みんなにできることは、言葉や態度、作品を中心にした表現で、生きるって悪くないよ、ほらこんなにきれいだよって心から思って伝え続けていくことだ。その純度を上げよう、上げ続ける努力をしよう。


 今夜すべての命が、あたたかな夢をみれますように。


 

 

 
 
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