2025年7月上旬の日々
- Kamome Kamoda
- 7月11日
- 読了時間: 4分
⋆͛ 7月3日(木)の収穫と作りおき

今年初めてかぼちゃを育てている。姫カボチャという小さいかぼちゃなのに、みるみる間に大きくなってゆくのでわくわくしながら見守っていた。この日が初収穫である。
葉っぱとは違って、さつまいもやじゃがいも、かぼちゃはデン!と完成形が現れてくるので、「ほんとうにかぼちゃができたな...?」と化かされたような気持ちになる。
熟成してから食べたほうが良いようなので、しばらく冷暗所にて保存とのこと◎

・トマト
・もやしと鶏肉の中華炒め
・鶏肉ときゅうりのハニーマスタード炒め
・焼きそば
・きゅうりのサラダ
・お弁当用だったウィンナーとズッキーニ焼き
・夏野菜のキーマカレー
・お弁当用だったおにぎり
夏野菜がぞくぞくと出来始めていて、買い物をほぼしない生活に変わってきている。
暑くて韓国料理かタイ料理っぽいものばかり食べている気がする。
⋆͛ 7月4日(金)

夫婦で病院へ行った帰りに、西野水道(隧道とも)という江戸時代に作られた放水路を見に行った。これはその放水路を抜けて湖に出た時の景色。放水路自体は、山の胎内で冷えた風が流れてきて、ゾクっと美しく、入口付近のみ苔がむしていて、生きているかのようだった。
私たちは2人で、入口を畏れて立ちすくんでいたけれど、そこにハグロトンボが何匹もふわ、ふわ、とやってきた。すごいものを見たね、と言いながら引き返す道中、説明書きを読んだ。「洪水と飢饉の多さ」で放水路を作ろうと村の人が決め、みんなで頑張ってゆくものの、「硬い岩盤で1日6cmしか掘り進められなかった」という時期があって、大変なようす。しかしどうにかこうにか、最後の岩盤を砕くに至る。その日付、時間までしっかり記録されていて、その後みんなで「小躍りした」と書かれていた。かわいい。
私たちが感じ、畏れ、感動したのは、その想いの集積だったのだろうかと随分と話しながらドライブして帰った。よいものを見せてもらった興奮があった。
⋆͛ 7月5日(土)

我が家にのれんができた。これで少しは涼しくなるかしらん、と期待する。
風に揺れるのれんが綺麗で、なんだか私たちらしいチョイスだね、と2人で話した。
夕方に、お世話になった方の訃報が届いて、急いで通夜に出かけた。仲良しのおばあちゃんたちと肩を抱いたり、手を握ったりしながら、わんわん泣いた。
亡くなったのは以前住んでいた場所の仲良しおばあちゃんグループのボスだった。彼女の心底優しく、厳しく、凛々しい姿は、私の憧れだった。いろんなことが静かに変わっていく。変わっていくことがこの世界の仕組みなのだよね、きっと。
⋆͛ 7月7日(月)

作品の編集をしていた。販売して行けるように、少しずつ少しずつ、準備を整えている。
10年以上ワークショップ以外の発表をしないできた私にとって、これは本当に難しい行為。未だにわかりやすく具合は悪くなれど、でも命を使うなら、やっぱり私は作って、みんなに届けたい。こういうことをやっていくことが、ニノ(猫)や、ボスからもらった愛を広げていくことなんだと、胸の中で確かに抱きしめていく。
⋆͛ 7月10日(木)

・野菜のオーブン焼き
・自家製グリーンカレーペーストのグリーンカレー
・きゅうり切ったの
・トマト
・ピーマンの肉詰め
・ガパオ
・ミートソース

・おばけきゅうりのパイ包み
全く買い物に行かずとも、野菜がもりもり穫れている。もともと今年の目標は冬や災害時でも食べれるように備蓄することだったので、いい感じに進んでいるのだと思う。
漬物にしたり、ドライにしたり、水煮にしたりしたいと思うけれど、まだ漬物しか手を出せていない。
中旬は水煮に精を出そうと決めている。
私自身オーガニック野菜、ハーブを大切にしながら生きているので、SNSは似た趣向の人をフォローしている。すると、参政党を推す人がちらほら目に入るようになってきた。
しかし、参政党がオーガニックや在来種を大切にしているからといって、差別を助長するようなことを言い募る政党を応援したいとは1ミクロンも思わない。
私は子どもを生まないと決めているけれど、それで国に貢献していないと言われるのは大変心外である。
先日亡くなったボスは子どもを持たなかったが、家具を持っていない私にたくさん家具をくれたり、クーラーのない夏の夜に毎日氷枕をくれたり、いつもいつも気にかけては私の名前を呼んで、愛してくれた。そこにあった優しさは、彼女が自ら勝ち取ってきた美しさだろうと思う。そういった姿があるというのに、簡単な論理で“貢献してない”とか“若い女性が産むべきだ”という言葉を使っていくのは、暴力的にしか思えない。
ボスからもらった優しさや愛情、私たちがこれまで多くの人や作品から受けとってきたものを、私たち夫婦は地域の子どもたちによい形で還元したい。互いに作品を作る続けることによって、多くの人に届けたいと思っている。そういう姿勢こそが、野菜やハーブ、モノをつくるときの営みにしんしんと染み込んでいくんじゃないのかと、思う。
もんもんと考えている。痛みを外部化することで安心したいと思うほどに、日本中、世界中のみんなが傷ついているということなのかもしれない。