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2025年7月中旬の日々

  • 執筆者の写真: Kamome Kamoda
    Kamome Kamoda
  • 4 日前
  • 読了時間: 4分

更新日:3 日前

⋆͛7月12日(土)の備蓄

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・茄子とズッキーニの干し野菜


 冬や災害時の備蓄を、自分の家で採れた野菜で賄ってみたいというのが、今年一年の目標だった。それで今年は畑に力をかけていたので、ぞくぞくと生まれる野菜たちに「ありがとう!ありがとうよ!!」と言いながら毎日収穫するものの、もはや追いつかない。


 備蓄をするための昔ながらの方法としては干す、漬物にする、水煮にする、というのが一般的なようだ。1年保つ漬物をバシバシ作った後は、干し野菜にとりかかった。


 茄子はうまいこといったものの、ズッキーニは水分が多くて途中で黒カビが発生した。もっと薄く切ったらよかったのか、もう一度だけチャレンジしようと思う。


⋆͛ 7月13日(日)のランチ

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・ミートソーススパゲッティ

・水煮用の収穫


 トマト付近でカメムシが増えていて、食べ頃になったところから食われていく。人間と一緒で、美味しいものが好きなのね...!としみじみ分け隔てなく命の喜びに感動するのも束の間、そのトマトはあたしのだ!と若干キレながら収穫した。

 駆除しなきゃいけないレベルなので、カメムシを見つけたらペットボトルに入れていくという作業をしたが、それを見ていた夫がペットボトルを静かに私から奪い、近くの沢へカメムシを放流しに行った。いいのか?確かにここは畑近くにないしご迷惑にはならないか...?いや?などと考えたが、夫の優しさだなと思ってお疲れさま、と空になったペットボトルを受けとった。

 

 畑やハーブガーデンをしていると、どうしてもこの害虫との戦いになる。夫はカメムシは放流するけれど、蚊やムカデは容赦なくヤる。自分に対してどのくらいの危害があるかで判断するのだろうな。トマトを食われるのは危害!と思っている私は狭量なのか?いや、あれは危害!ゆるさん!あたしのトマト!


⋆͛ 7月13日(日)の水煮

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 そのカメムシから逃れたトマトを、水煮にした。


 煮沸からの煮沸で、ずっと火を炊いている仕事なのだけれど、なんとこれでほぼ滅菌できて、1年保つらしい。


 寒い冬の日、この蓋を開ける時にどんな気持ちになるだろうと想像する。この夏の暑さや、光の強さ、急な雨の心地、カメムシとの熱い戦いを思い出すんだろうか。それはなんて美しいタイムカプセルなんだろう。

 ほっとひと撫で、自然から撫でられるような気持ちになりながら食べれる気がしている。冬が楽しみである。


⋆͛ 7月13日(日)のパーティー

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・バニラアイスのパフェ


 13日は、ニノ(猫)の49日だった。

 夫が「パーティーしよう!」というので、ニノの好きなものを買って「ニノ、いってらっしゃーい!」とパフェで乾杯した。


 49日間という期間は、私たちがニノのいない生活に慣れるにも、きっとニノが向こうの生活に慣れるにもちょうどよい日数に思う。馴染んできた互いの生活で、このまま先にゆこう、でも最後に一緒に過ごそうよ、という夜。夫とふたりで、ニノがいなくなってからの悲しみを抱きしめながら、ありがとうね、愛してるよと言いながら過ごした夜。


⋆͛ 7月14日(月)の作りおき

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・トマトと玉ねぎのサラダ

・ピーマンときゅうりの青椒肉絲

・麻婆茄子

・ゆで卵

・ミートソース

・きゅうりのキムチ漬け


 キムチを作るのに慣れてきたように思う。小エビを入れるとコクがあって美味しいのでおすすめ。


⋆͛ 7月18日(金)

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 友人が都を離れるので、もう一人の友人の展示を見つつ食事をしてきた。行ってみたかったタイ料理屋さんで、とっても美味しく嬉しかった!


 彼女は物を観る深度のようなものが近しく、それを共有しながら過ごすことがとても好きだったので、しんと寂しさが広がる。新天地へ行っても、彼女らしくゆったりとした時間の動きと鋭い直感で、よい日々が過ごせますように。


⋆͛ 7月19日(土)

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 ガーデンのエキナセアと、ラベンダーの花束。


 外から子どもの笑い声がたくさんすると思ったら、どうやら町の花火大会だったようだ。この町の花火大会の歴史は古くて、一発一発アナウンスとともに点火される。それは故郷の花火大会のスタイルと一緒で、懐かしい風情のある、小さな地方の花火大会である。夫と散歩しながら見に行くと、各々家から椅子を出してきて、家族や近所の人とゆっくり眺める姿があった。


 自然と、蔡國強さんの花火のアートワークを思い出す。宇宙の星々の爆発や、戦争で使われる爆発も、この町でみんなが夏の夜風に吹かれながら見つめる爆発も、全部同じ爆発だ。

 ドン、となるたびに、近くに山々で跳ね返される残響が聞こえていた。私たちは宇宙に生きていて、小さな命を支えあいながら、同じ風に吹かれて花火を見ていた。そういうことが愛おしく切なく、胸がぎゅっとしてしまうね。

 
 
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