
魔法つかいになること
- Kamome Kamoda
- 4月18日
- 読了時間: 5分
更新日:5月17日
魔法つかいになりたいと思ったのはいつだったか、たいそう小さな頃だったと思う。
憧れたのはセーラームーンの「幻の銀水晶」が最初だったのかしら。うさぎちゃんの涙がキラキラの結晶になったときのトキメキは、全く色褪せず胸にある。
そのトキメキが強く定着した要因のひとつに、私の生家が宝石を扱う家だということがある。
父は宝石職人で、お店にある工房の他に、半地下に原石を削る工房を持っていた。当時父は、瑪瑙など削った削りカスを半地下の外へ捨てていた。そこは次第に私の宝石採掘場になり、そこで見つける不自然に欠けた好みの石たちは、ビー玉やビーズ、匂い玉と一緒に私の宝箱に収納されていった。
水晶、アメジスト、オパール、エメラルド、ガーネット、サファイア、さまざまな宝石たち。それらはプラスチックと違って、唇で触れるとツンと冷たい。水のように透明で動体かと身体が、ほんの、ほんの一瞬だけ勘違いする。そしてまた一瞬で、その強固でパキッと冷たい表面に納得し、その不思議さに心が掴まれる。これが私に降り注ぐ雨や風、陽の光と同じ自然の力で、想像もつかないほど長い時間をかけて生まれていることの壮大な神秘。
その神秘を目の当たりにすると「幻の銀水晶」や「クリスタルスターコンパクト」の宝石も、同じパワーを持っているに違いないと、いや、もっと神秘的な物語を含んだパワーを持っているはず、と、幼い私は夢を見た。
ビー玉やビーズも、同じように私のトキメキの一つだった。豪雪地帯で育った私にとっては、遠くに見える雪山から感じる清く美しい風や、朝日に光る真っ白な雪、大きな大きな氷柱、その下にポコポコ生まれる逆さ氷柱にも特別ときめいていたように思う。
一番最高なのは晴れた雪の日の窓辺にあるビー玉や宝石たちである。いっとう美しく感じる。それらは自然と私の奥底に魔法を信じさせ、いつしか私は「魔法とともにありたい」と思うようになっていった。
お伽話の「魔法つかいになりたい」が、ほんとうの「魔法つかいになりたい」と真に思うまでの間に、私は随分と生きるのが苦しくなっていた。
自分の尊厳が侵食されることに慣れ、いつも他者の目線を気にしていた。気にしていると、しっかりとそこを起点に攻撃し合ってしまう。信頼をどう作っていけばいいかを知らなかった私は、随分と傷つきやすく、人を傷つけていたと思う。
キラキラが好き、とか、お伽噺のような空想が好き、というのを安易に表に出すことも、弱さを広げるようで自然と封印していった。
私の理性に対して、心は自然と私のトキメキたちを違う形に醸成していった。
部活の後、瓶のサイダーを買って川辺でひとりで飲んでいた時間に、銀世界の窓の外を見ながら夜中まで勉強する時間に、屋根の上でひとりで本を読む時間に、トキメキたちは私の形になっていったように思う。
画家になりたいと思ったのはこの頃だった。
真に「魔法つかいになりたい」と思ったのは、美術予備校の講師たちに出会ったことがきっかけだった。
技術を教えない予備校で、本質的な話ばかりをする講師たちの対話は、今まで出会った大人と全く違った。繊細さを保ったまま、それを強さに変える魔法を持っていた。彼らの対話が好きで、ずっと喫煙所に入り浸って彼らの話を聞いていた。
同じものを観て、同じ道具を使っているはずなのに、彼らが鉛筆を持つと光も空気も留めることができた。ファウストが「時よ止まれ!汝は美しい」と言ったあの衝動でそのまま魔法を発動しているかのような感動だった。
もう一つ、今でも忘れられないのは、夫と(当時は付き合って半年の恋人)、初めてモネの「散歩、日傘をさす女」を観た時だった。
私はただ絵の具の積み重ねを観ているだけなのに、そこにはモネがいかにその瞬間をいとおしく見つめていたか、という感覚が描かれていた。そこで私が大泣きしてしまって、若かりし夫がおろおろと、そしてちょっと恥ずかしそうにしていたことを覚えている。
芸術は魔法なのだと、私は強く信じるに至った。
「魔法つかい」になることが、人生の目標になったのである。
そんな私が、絵を発表するのが怖くなって、今年で11年になる。
なんでも他者軸で考えてしまうという悪癖は、私を病に引きずり込み、幼少期からのトラウマや、様々な悲しみを引き連れて未だに私を怖がらせている。似た者同士が惹かれあうのか、夫も同じように制作ができなくなり、自分と向き合わざるを得ない日々をふたりでどうにか生き延びている。
最も最悪な期間、私は布団から出られなかった。その時私が布団の上でしていたのは、私自身を守るようなアクセサリーを作ることだった。ひとつひとつ出来上がっていくそれは、小さい頃に封印したキラキラのトキメキを内包していて、私が美しいと感じた雪山の風を感じさせてくれた。どれだけ悲しみを抱えても、私の奥底にある聖域は侵されず、ずっと美しさを湛えていたのだと実感させてくれた。それは、新しく私の目前に広がった癒しの魔法だったのである。
友人の写真家が「この世は遅い魔法の世界だよね」と言った。
セーラームーンのおもちゃは、あの時の宝箱の宝石は、あの時の講師の鉛筆の痕跡は、あの時のモネの絵の具は、確実に私の心に魔法をもたらしている。すぐには効かないかもしれないし、その時は何かに囚われて、動けなくなることもあるかもしれないけれど、それでも言葉に載せて、物に載せて、手のひらの温かさに載せて、私たちは「遅い魔法」を使っている。

お守りとしてのアクセサリーたちが、最近やっと発表したり、販売したりできるくらいのものになってきたように思う。なので、この11年の中で、揺れながらも確かに掴んだ美しさを纏って、誰かにお届けしたい。
今日も変わらず、私は魔法つかいでありたいと思っている。
胸を張って、誰かに魔法を届けたい。